理事長ブログ

アメリカンフェスティバルの思い出を語るの巻

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8月25ー26日と、アメリカンフェスティバルを無事に終えることができました

昨年はまさかの台風での中止、一昨年は大雨の中での開催だったので3度目の正直でした。

2年連続でテナントさんや協賛企業さんにご迷惑をおかけしていたので、まずはとにかく

開催すること

が、絶対条件

万が一、今年開催できなかったら、次はない・・・くらいの気持ちで臨んでいました。

本当に、お天気に恵まれてよかった!

ありがとうございました。

昨年のリベンジを果たせて最高の笑顔を見せる、小倉センパイw

そのそも、アメリカンフェスティバルは1985年に佐世保青年会議所が立ち上げた佐世保が誇る、九州でも有数のお祭りでした。

西海国立公園指定30周年記念行事として、官民一体型そして米軍をも巻き込んだ一大イベントでした

アメリカンフェスティバル 略して アメフェス

最近はフェスってよく聞きますが(音楽イベントなど)、アメフェスはその走りだったのかしら!w

アメリカンフェステイバルの開催場所は佐世保であって、日本ではない場所。

ニミッツパークをこの日だけは開放していただいて、やっていたイベントであるため、1985年から2002年まで続いていましたが、テロの影響で、開催することができなくなっていたのでした。

しかし、夏のイベントがないものさみしい、ということで

2004年 佐世保バーガーフェスティバル

を先輩方が開催され、これが大盛況!

もともと地元住民である私達からしたら当たり前だとおもっていた佐世保のバーガー文化を全国に発信するきっかけになったのです!

(先輩方、すごいです!)

そして、バーガーフェスティバルの大成功を受けて

花火大会をしたいと考えていたYEG(商工会議所青年部)と佐世保青年会議所で実行委員会をつくり、シーサイドフェステイバルがたちあがったのでした!

このJCとYEGが一緒にひとつの事業を行うというのは当時では全国的にみてもかなり珍しかったそうです。

2005年 させぼシーサイドフェスティバル

ちなみに、私は2006年に佐世保青年会議所に入会したため、第2回からの参加です。

第3回めである2007年には、シーサイドフェスティバルを担当する委員会になったため、シーフェスまでは、寝ても冷めても、シーフェスシーフェスで、2年目会員ながらに、必死でうろちょろしていたのを覚えています。

広報を担当したこのとし、つくった?キャラクター

でも、1年かぎりのいのちでした・・・。かわいいのになぁ。

おそらく、この年は入会して数少ない、JC活動しながら痩せた年でした・・・。

懐かしい。

苦しく、苦しい思い出です。

しかし、この年の経験がいまでも私の血となり肉となっているのは確かです。

さて、アメフェスに話を戻します。

2015年に理事長を務められた谷川先輩が

「アメフェス復活しよう」とのろしをあげられました

当時の三役(理事長、副理事長、監事)で様々な議論や検討をしました。

・以前と環境が違う(そもそもニミッツパークの形が違う)

・昔の規模では助成金の関係もあって無理そう

・8月にシーフェスやって、すぐ9月にアメフェス?!大変やんかっ!

などなど不安要素はたくさんあったものの

一番私達が心配していたのは

市民の皆様をがっかりさせるようなことはできないということでした。

佐世保青年会議所にとって、アメリカンフェスティバルはひとつの「誇り」

先輩方の中にも、ものすごく思い入れがある方が多く、生半可なことはできないのではないか。

私たちがちょうど、幼稚園の頃からはじまったアメフェスは子どもたちの夏の思い出でした。

人によっては、初デートはアメフェスだった、とか

みんな、様々な思い出があります。そこまで思ってもらえるお祭りってもはや「ブランド」です

アメフェスブランドを傷つけないようにできるのか!というところに最大に注意を払いながらやろう!!ということになりました。

しかし、会場の問題、お金の問題、1回めはずいぶん苦労されました。

私は担当ではなかったので、まわりでわーわーいっていただけですが、ほんと立ち上げの労力ははかりしれません。

様々なプレッシャーをはねのけ、うけながし、無事に1回めは晴天のもと開催!!

という、アメフェス復活までのストーリーがあるのです。実は。

そして2回めはいいかんじにすすんでいたものの、雨天。

なんとかすべてのステージ催事ができたことだけが幸いでした。

あ、あとJCのメンバーの雨の日の催事対応スキルがものすごくあがりました。

雨天対策マニュアルのバージョンアップには貢献しています。

そして3回目のアメフェス

アメフェスをするために、JCに入会した!と常々声を大にしていっていた、ビックマンの小倉くんが委員長をつとめ、私は担当副理事長ということで副実行委員長をつとめました。

約1年がかりで準備をすすめ、汗も涙も流しながら準備をしてきていたのに

まさかの中止

私の12年(当時)のJCライフの中で一番辛い出来事でした。

本当だったら実施をしていた日程の2日間に委員会のみんなで撤去作業をがんばりました。

この、ゴムマット撤去がとっても大変・・・らしかった

私も一応やったんですけど、この写真を見た人たちからはヤラセだ!といわれました。しょんぼり。筋肉痛になるほどやったのに!

この日のためにかった長靴はいまもトランクに入ってますw

あ、洗ったよ!もちろん

その後も、協賛企業さま、テナント出店業者さま、アーティストの方々、設営業者の方々にご挨拶、お詫びをしてまわりましたが、ほとんどの方が可能なかぎりの配慮をしてくださり、そのおかげで、せめてものリベンジを、ということで11月に島瀬公園でアメフェスミニを開催することができました。

めちゃめちゃ寒かったー!

そんなこんなで個人的にもものすごく思い入れがあるアメフェス

ずっとずっと、天気の心配をいろいろな方からされ続けていたので

「晴れます」と根拠なく言い続けていましたが

ほんとに晴れてよかったーーーーー!

これで、やっと2017年の役目も終えることができたような気持ちがしました。

無念を残しながら卒業した小倉くんと、笑顔で今年のアメフェスは終わることができました!

昨年のアメフェス委員会のメンバーと打ち上げ!

さ、2019年もがんばりましょ!

 

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内海 梨恵子

長崎県 佐世保市在住 家業の三代目を目指して精進中 (株)ヒューマングループ/ヒューマンスクール早岐/ヒューマンスクール松浦/リューコス(株) にて専務取締役を務めています 日々の雑感、仕事や家庭との両立のことなどを中心に書いてます

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